13番地で生きています

わたしがすきになったひとたちの話です /ELLEGARDEN/the HIATUS/ストレイテナー/関ジャニ∞/渋谷すばる/ ジャニーズWEST/ Aぇ!Group

10年越しの「ただいま」に思うこと

f:id:j8mari:20180603184454j:plain

おかえりなさい、ELLEGARDEN

2018年5月10日。

あのお祭り騒ぎを、わたしは一生忘れないと思う。

 

Twitterが、ELLEGARDEN復活への歓喜と涙であふれていた。公式HPには10年前のアー写と同じ並びで、今の4人が写っていて、細美武士のブログには「ただいま」「全員笑顔にすっかんな:-)」の文字。

 

この日を、ずっとずっとずっとずっと、夢にみていた。

 

毎年9月7日に細美さんのブログが更新されることに安堵しながらも、「ELLEGARDEN細美武士」であることが新しく見つけた道の枷になったり、結果的に「細美武士」を変えてしまう要因になってしまうんじゃないかと心の何処かで恐れていた。だから、帰ってこなくてもいい、いつか帰ってきたいと思う気持ちさえ持ってくれて、とにかく自分を曲げずにまっすぐ歩く細美武士でいてくれたら、それだけで十分だと思っていた。

 

それが、超シンプルな「全員笑顔にすっかんな:-)」という言葉だけで、全部を乗り越えて、心から、何の曇りもなく「ELLEGARDEN」として戻ってくることを決めたことを伝えてくれた。細美さんは永遠のヒーローで、それが何よりも嬉しかった。

 

2008年9月7日から100回くらい、細美さんを観てきたけど、やっぱりELLEGARDENは原点であり、特別な存在だと痛感する。

 

2年前の9月7日のブログ。

また4人で集まるのなら、ただあの頃と同じく、楽しいバンドがやりてえなって気持ちで集まりたい。出来る事なら、それは物語の続きであって欲しい。だから俺は(あの頃と比べて)知らなかった世界や音楽を多少なりとも理解できるようになったとしても、絶対に変わりたくない部分がある。それが今も物事をややこしくしてるのかもしれないけど。

 

たとえそうだとしても。俺は自分自身と、メンバーと、もうほんとうに気の遠くなるほど待たせてしまっている連中のハッピーエンドを諦める気はない。人生とは世知辛く、マンガや小説や映画のようにはいかないもんだと、したり顔で何度言われても、うるせえな、それはお前の場合だろと、あの頃と同じく今も思っている。

 

変わりたくない部分を一切変えずに、物語の続きを、ハッピーエンドを叩きつけてくれた細美さんに、ありがとう以外の言葉が見つからない。どんなに辛くても、傷ついていることも隠さず、自分の気持ちにまっすぐで、信念を変えずに、おかしいことに中指を立てながら、前を向いて歩いていく様を、10年間ずっと見せてくれていた。この人の生き方を心から好きだと思える自分で良かった。

 

振り返ると。2005年のNANO-MUGENフェスで、ブレイクに心が追いつかず「3階から飛んでやろうと思った」と言いながら客席の大合唱を聴いて号泣したり、2006年のSPACE SONIC TOURで「ここは、俺らとお前らの、大事な遊び場だから他の人は一切いれたくない」とキレてスタッフを客席から捌けさせたり、2007年の幕張メッセで「初めて…生まれて初めてだよ、心の穴が埋まった気がするのは」と泣いて”高架線”を歌ったり、活動休止発表の数日前のU.K.L PASTE TOUR@熊谷 では目がうつろで、ほとんど客席を観ていなかったり。ELLEGARDENの時代から、自分の理想を追いかけ、嘘をつかず、ときに不安定な自分を隠すことがなかったと思う。

 

何より、2007年、幕張メッセの「金星」。

「この曲は、5年も6年も前に書いた曲で。これを聴いた人は”ああ、若いね、夢見てるんだね””いいねえ、若くて”って。そんな感じだった。今日もまた歌うよ。」と覚悟を見せつけて、ものすごい形相で歌う姿に、いつも心が痛くなる。

  

はっきりと言わない言葉は傷つける 

恨まれることさえ出来ない

そんな風になりたくないよ

 

「この人たちが届けてくれる音楽、生き様に正々堂々会いに行けるように、まっすぐに生きたい」と思わせてくれる、100回くらいDVDを観ているだいすきなシーン。

 

そんな細美さんに影響を受け、わたしもこの10年間を歩いてきた。

 

「細美さんのおかげで大好きになったライブの空間について研究したい」という理由で当時の学力では到底行けなかった大学を、志望校に決めた。

(志望理由を包み隠さず話したとき、一切馬鹿にすることなく、合格をくれたゼミの教授は恩師だと思っているし感謝しかない)

 

そして、大学1年生でthe HIATUS「Ghost In The Rain Tour 2009」。

「自分にはもう何もないかもしれない」と言い放ち、祈るようにLittle Odyssayを歌い「来てくれてほんとにありがとう、俺は幸せ者すぎるのかもしれないね」と弱く笑う細美さんが、悲しくて、でも笑顔を取り戻すための苦しみが、本当にかっこよかった。

 

ねえ細美さん、少なくてもわたしは、細美さんのおかげで前を向いて生きているよ。苦しみを、希望を、全力で背負いながら、前を走ってくれてありがとう。

 

まっすぐに生きていると、希望が見えると教えてくれたのも細美さんだった。

 

2012年12月6日、「The Afterglow tour」NHKホール。わたしの人生で最高のライブ。3年間、細美武士を支えた堀江さん最後の日。あの場にいた人にしか伝わらないと思うけれど、わたしは確かに、絶対に、音楽の神様が「Twisted Maple Trees」の絶唱に宿っていたのを観た。

 

You are fine

I'm wrong

It's always on my side 

I'm dead

My fault

You can not forgive me

 

悲しくて壮大なメロディをささえるオーケストラの音に助けられて、過去最高に開放的になる細美さんのボーカル。”いつだって僕が間違っていた””もう許してもらえないだろうね”と絶唱し、それに呼応する気迫あふれる演奏でいっぱいになったステージが、本当に神々しくて、なにか絵画のように空間が切り取られたように感じた。気づいたら号泣していたし、隣の人も泣いていた。あまりに美しくて、本当に身震いする瞬間だった。

 

細美さん自身も、歌い終わったあと目を見開いたまま倒れ込んでいたし、後日「あの瞬間は何だったんだろう、神に触れたと思った」と話していたけれど、全身全霊で音楽に打ち込む人にしか与えられないご褒美を手にした瞬間に立ち会えたのだと信じている。

 

この曲を経て最後に演奏された「Silver Birch」。万感の表情で、ぴょんぴょん飛び跳ねながら歌い、最後にチェロの徳澤青弦さんと泣きながら抱き合う姿は、わたしが心から待ち焦がれていた「細美武士」そのものだった。あんなに人生に、自分に絶望していた人が、それを乗り越えた瞬間だった。

 

ねえ細美さん、「最後に笑うのは正直なやつだけだ」と信じさせてくれて、ありがとう。希望が見えづらい世の中に、希望を見せ続けてくれて、ありがとう。

 

2014年、Keeper of the flame tourで発表された武道館。キャパが大きいとかではなく、ついに細美さんが”中断”という意味が込められている「the HIATUS」で記念碑的な公演を選んだことに、涙が止まらなかった。死なないために始めたこのバンドが、本当に前を向くためのバンドになったと悟り、BRAHMANTOSHI-LOWさんの言葉を借りるなら「バンドに、なったんだね」と思った。

 

次は、路地裏のきたないライブハウスで会おう!

 

2007年幕張メッセの「さあみんな、ライブハウスに帰ろう!」と同じ言葉を投げかけて終わった武道館。権力や寂しさに屈するでもなく、大事なところは何も変えずに、新しい音楽で前に進む細美さんが本当にかっこよくて眩しかったし、この人に出会えた人生は誇りだと改めて思った。(変な髪型だったけど)

 

2015年、MONOEYESが始動。

正直、動揺した。もう、ELLEGARDENを引き受けるつもりはないのかもしれないと思った。ELLEGARDENとは違う自分に会うためにthe HIATUSを続けている細美さんが、もうひとつバンドをやるとしたらELLEGARDENしかないと思っていたから。

 

でも「My instant song」のPVが公開されて「楽しくてたまらない!」って顔で歌う細美さんとどこまでもキラキラした音楽に、強がりや嘘や諦めは何もなくて。きっとELLEGARDENに出会うまでには、もう少し時間が必要で、そのためにもMONOEYESは必要なのかもしれないと思って、チケットをとった。

 

2015年8月4日のMONOEYES TOUR@渋谷クアトロ。とにかく、ひたすらに、何もかもが楽しかった。気づいたら6年ぶりのダイブをきめ、汗びっしょりになってライブを全身で楽しんでいた。ELLEGARDENと似てるとかそんなのではなく、ただただハッピーな空間。ELLEGARDENthe HIATUSを経たからこそのメンバー構成と音楽に出会って、そこで心から楽しそうに歌う細美さんは、もう、迷いがないように見えて。このあたりから「戻ってこないかもしれない、でもそれでもいい」と思う自分がいて、ようやく純粋に「今の細美さんが奏でる音楽」を100%受け止められるようになった感じがした。

 

2016年10月15日、theHIATUS@Bluenote tokyo。

出会った頃の「ライブハウス以外考えられない」細美さんが不要なこだわりを捨てて、ただただ5人の音楽を楽しむために選んだBLUE NOTE。スーツを着て、グランドピアノの演奏とジャズ風のアレンジをした楽曲で、気持ちよさそうに歌う細美さんを観る日がくるなんて、思ってもいなかった。リリース当時、狂気すら感じる目で歌っていた「Insomnia」を柔らかな笑顔で歌う細美さん、それを優しく支えてリードする一葉さん、柏倉さん、マサ、ウエノさん。

 

ねえ細美さん。遠回りするたびに見えてくる景色があると教えてくれて、ありがとう。早く進むことがすべてと思わせない人生を見せてくれて、ありがとう。

 

2017年9月17日、New acorstic camp。

盟友で、きっと苦楽をずっと共有してきたACIDMAN大木さんに「僕は、細美くんの声が世界で一番好きなんだ」と言われて、べろっべろに酔いながらも、すごくすごく嬉しそうに笑った笑顔が本当に幸せそうだった。

 

2017年10月11日、MONOEYES Dim the Lights tour @新木場。

「お前らが、今日まで生きてきた人生の打ち上げをしよう」「ライブハウスの扉は夢の扉だよね、ここだけは理想の世界。ここから一歩でたら、また現実が始まる。少し疲れたら、またこうやって集まろうぜ」と楽しそうに、優しく話す細美さん。

 

「トディ、夏は何したい?」

「俺、ライブしたいっす」

「うん、そうだねえ。ライブ。したいねえ」

 

職人気質でめっちゃくちゃかっこいいギターを弾くのに(特にRemember meとFreeThrowのイントロが好きです)、後輩全開なトディのまっすぐな言葉にうれしそうに笑うMONOEYESと、わちゃわちゃと音楽を楽しめて、幸せでしかなかった。(ボストークと3,2,1Goの希望にあふれた空気が幸せ最高潮でした!)

 

2018年5月5日、VIVA LA ROCK。

今までにないくらい今年は活動が少なくて、2018年初、細美さんの音楽。正直なんだか違和感があった。少しだけメンバー間に距離が、細美さんに迷いがあるように思った。ものすごい優しい音楽だったけど、どこか全力じゃない感じ。2008年の活動休止の熊谷を思い出して「(悪いほうに)何か重大発表があるんじゃないか」と一緒に行った友達に不安を喋り続けた。

 

そして迎えた2018年5月10日。正直、嬉しさと信じられなさで号泣してその日は過ぎていったのだけど、翌日、「ああ、これを隠していたのか!」と思った。そしてきっと、細美さんやthe HIATUSMONOEYESのメンバーも、嬉しいことは大前提に、少し不安だったんだろうなと。

 

ビバラで不安そうに見えたトディはやっぱりTwitterに「ボスから聞かされたとき、わかってはいたけど超きれいな元カノを紹介された、複雑な気持ち」とつぶやいていた。

 

でも。

the HIATUSMONOEYESELLEGARDENを比べるなんて、今はもうしていない。数えきれないくらいライブに行ったけど、3バンドとも、違う感動と楽しさをわたしにくれた、大切で、大好きな存在。MONOEYESが出す空気、the HIATUSが出す音は、どちらもそのバンドにしかない。人生で欠かしたくないバンドが増える幸せをくれた10年間。

 

ELLEGARDEN復活。

何度も何度も何度も、妄想していたことが現実になった。そして「全員」笑顔にすると細美さんは言った。MONOEYESthe HIATUSも受け入れて、前を向く細美さん。

 

その音楽をまっすぐに、笑って受け入れられる、嘘のない人生を歩みたい。

 

2018年8月15日、ZOZOマリンスタジアム。わたしは幸せなことに、チケットを手にすることができた。

 

10年ぶりのSupernovaから始まるライブ。少しでも多くの「10年間待ってた」仲間と観たい。わたしはきっと、朝から泣いていると思う。

 

おかえりなさい、ELLEGARDEN

ずっと、13番地で待ってました。